この前、ある陶芸家の番組を観ました。
人間は救われたくてしかたないので、
救ってくれそうなものへ縋って、
救われなくても、そうするしかない・・・・と。
この方が救われたくて、縋ったものが「焼き物」だった。
その「器」は、叫びと言うより、
祈り・・・・。
自分を救ってくれるものを、
外の世界に求められない者は、
内へ向かうしかないから、
そんな人たちは、
創造の神様の元から離れない。
どんな恨み言も、怒りも、
形にしたら、それは「祈り」になっているんだから、
「自身の救い」とか、その時はきっとみんな忘れてるんだろう。
忘れている瞬間だけ、
それはそこに「在る」んだろう。